世界を救うために治験とやらに参加することにした
1・男の子のなりたい職業No.1といえば、古今東西を問わず「勇者」と相場が決まっている。
2・私は男の子である。
華があり、文武両道で、仲間に恵まれる。足は臭くないし、大変衛生的であり、サイズもでかい。足がでかいということはすなわち体躯の堂々たるやに直結し、それすなわち存在感である。
その圧倒的存在感から神に等しい扱いを受ける勇者に、私もなりたい。
とくれば、何をしたらいい?
勇者と呼ばれる存在が何をすべきかの答えは出ている。
ホイミだ。
何は無くとも、ホイミだ。
ホイミができなければ数多の屍の仲間入りを果たす日はそう遠くない。
三度の飯より、ホイミ。
まず、ホイミ。でも闇雲に打つと保たないから、的確に。それ、ホイミ。
アルミホイル?アルルホイミ?木イミ?杉?☆彡?
大丈夫?ホイミ。
慣れてきたら、ベホイミ。
多分それだけ押さえとけばいけるから。うん、そのままで。
あとそれに加えて勇気を揮い、なんやかんや世界を救うのだ。
そう思い立った私は、一番手っ取り早く楽な方法を探すため鍵を弾く。すると瞬く間に眼前を埋め尽くさんばかりの情報情報情報情報情報情報追う情報h情報jo城ホ王おの方ホフオ方法ウホウホ
今や知識というものは人間の脳に格納しておくべき領域を離れ、virtualの住人と握手をするだけで重箱の隅でも中央でも蓋の裏でも同じ手間で届く存在になっているのだから恐ろしい。ortholocyの飽和である。
おそらくこのまま知という知が集約されていくと、段階的に人類の脳は退化し、終には私の脳は役目を失い、単に電気信号に従って体を震わせるだけの肉人形となるだろう。それはさながら海を揺蕩うクラゲのようで。それはさながら休日の昼間のようで。つまり問題がない。いや、嬉しい。キャピ(^^)v
あまりにも多い候補から一つを選び出すのは大変難しいことである。
「今日の晩御飯何食べたい?」「なんでもいい」→ 殺戮
なぜこの現象は示し合わせたわけでもなく全国区なのだろう。
なぜみんなミュウを作る裏ワザを知っていたのだろう。
なぜデュクすのだろう。
テツandトモが脳内で騒ぎ出す。人の良さそうな顔で距離を詰めてくる。
不思議なことに嫌悪感はない。
話が進まない。
[話がそれた時 対策] 《検索》
→get back on track!!
唯一無二
至宝
金言
当然
すべからくそうすべきである
勇者がすべきことはなんだっただろうか。
辿る辿る思考の道。感覚的には一つ目の"辿"の辺りですぐ見つかった。
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ホイミと、勇気を揮うこと。
その結果、なんやかんや世界を救うこと。
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見失わないように大量のequalで縛り付けた。
その行為が、日本社会の縮図のようにも感じられた。
汝に問う。ホイミとは何か。
癒しの力なり。
これは医療行為を指すと言って過言ではない。圧倒的過言で無さ。
そこに疑いの余地はない。信じよ。
汝に問う。勇気を振るうとは。
恐怖を乗り越えることなり。
すなわち、嫌いなものを食べられるようになったりジェットコースターに乗れるようになったりアナルに異物が挿入されたりだ。
恐怖の内容については個人差があるため一概には言えないが、私の場合は血が苦手だ。
どれくらい苦手かというと、中学の理科の授業で植物の茎についてご高説を賜っていた際、教師が
「植物の茎には道管と師管があって、道管は根から水と養分を吸い上げている方です。これは人間で言えば動脈。完膚なきまでに手首。手首をカッターで切ると血がブゥワァーー出ますね。植物も同j
ドッ
肉が、50kg超の肉が、油粘土のような色をした床に自由落下した。
気づくと私は、保健委員という名のH君に担がれていた。
どれくらいの時間が経っているのか不安に思った私はH君に尋ねた。
「今!今は西暦何年ですかッッッ!!???」
「1分くらい倒れてたよ」
何を言っているんだこいつは、質問に対して答えていない。
大層残念なオツムだな、と思ったが、どちらかと言えばそっちが聞きたかったことに気づく。
のほほんとした顔と裏腹に相手の思考を先回りする対人スキルを備え、慈愛に満ち溢れた彼には畏敬の念を禁じ得ない。彼は現在perty peopleとなってその才能を遺憾なく発揮している。
さて、どこに気を失い倒れる要素があったのだろうとお思いであろう。
説明すると、神懸り的比類なき無双の感受性を持つ私は、「手首から血が吹き出す」という情景をあまりに鮮明に思い描き、その被害者の心情をtraceし、また加害者の心情までもtraceした。
するとどうだろうか、一般的に考えて常に体の内側を向いている手首を傷つけるということは、事故や自然現象の確率が低い。
そこから推察されるのは、「強い害意をもってもたらされた損傷」である。
刑事罰のリスクを負ってまでも手首にdamageを与えたい、そこに至るまでにはおおよそ窺い知ることのできない様々な感情、葛藤・憎悪・諦観・狂気が渦巻いているはずだ。
だがしかし、加害者が「自分」である場合も考えられる。俗にいう"wrist cut"
こちらの方がさらに問題は深刻だ。誰だって痛いのは嫌いだ。自ら痛みに身を投じたがるのは、悩める青少年や、逃げ場を失った中年や、開発の進んだそういう性的嗜好の人間だ。
つまり、何れにしても穏やかではない、ということが言える。
人間の行動というのはしばしば理解を超える。
損得勘定から逸脱した事例は身近なところから歴史に残るものまで無数にある。
それが喜びを振りまくものであるならば、望ましい。
しかしこと「手首を切る」ということに関して言えば、それは絶望を振りまく行為に他ならない。
余りにも悲しいその事実に、全米が涙。オーバーフローしたビンビンの憐憫は想像上の「手首を切る痛み」を増幅させ、その痛みが私の想像の限界値に達した時、気絶した。そういう訳だ。
一行で言うなら、「うわっ、チョー痛そー(/ _ ; )」
痛覚には強いが、imaginationには弱い。
古くは「ブアメードの血」という実験にも示されている。
1883年、オランダにおいてブアメードという国事犯を使って一つの実験が行なわれましたあ。実験の内容は、「一人の人間からどれだけ血液をとったら人間は死ぬものか」というものでした。医師団は、ブアメードをベッドの上にしばりつけ、その周りで話し合いを始めました。そして、「三分の一の血液を失ったら人間は死ぬでしょう」という結論に達しました。医師団は、「これから実験をはじめます」といって、ブアメードの足の親指にメスを入れ、用意してある容器に血液をポタポタと落としはじめました。数時間が過ぎて、医師団は「どれぐらいになりましたか?」「まもなく三分の1になります」と会話をしました。それを聞いていたブアメードは静かに息を引きとったというのです。実は、医師団はこの実験で心理実験をしていたのです。ブアメードの足にメスを入れるといって痛みだけを与え、実際にはブアメードの足はメスで切られていなかったのです。当然、容器には血ではなく用意しておいた水滴をたらしていたのでした。しかし、ブアメードは、メスで自分の足を切られ、自分の体内から血液がどんどんなくなっていったと思い、死んでしまったのです。
引用 "http://www4.osk.3web.ne.jp/~love/needs/human1.htm"
私はこれと同じような理屈で、採血が苦手である。
一回15ml、大さじにして1。たったこれだけの血を抜くだけで、私は30分間の安静を要する。
事実として、今まで採血を行うたびに「大丈夫っす」と言いながらその数十秒後に意識を失っている。
現実の血を抜く痛みや貧血のせいではない、「血を抜く」という行為の持つ悪魔的要素が私の感情を限界以上に揺さぶるからである。
この調子でいくと、仮に400mlの献血をしようものなら私の四肢は爆散し、服は裂け、腎臓を一つ失い、クレジットカードは限度額に達することは想像に難くない。
たかだかドーナツやジュースや漫画読み放題や快適な空調や感謝の気持ち程度でそこまではできない。み、魅力的なんかじゃないんだからねっ///
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私にとっての恐怖のsymbolは「採血」
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しかし、採血とはいたずらに苦しみを与えるために行われているのではない。
その血は、他者を救い、世界に潤いをもたらすために使われる。
これは、ホイミだ。
これが勇者のすべきことか。そう確信に変わる。
勇者になるために、そう、採血を乗り越えていこう。
これは容易ではない。不可能を可能にするためにはそれ相応の覚悟と、行動が必要不可欠だ。
私は自分を追い込むために、強制超高頻度定期採血が行われる「治験」に参加することにした。